私には資本主義の精神が足りないらしい

以前の引っ越しの時に運送屋を頼んだ。引っ越し要員として数人の若者が来たんだけど、見ていたところ、2階に冷蔵庫を上げるのに非常に苦労していた。それなのに費用はえらく安かった。全部で来た人数(運転手含む)×1万円くらい。

払った額が少なすぎたのではないかと胸が痛んだ。もっとも、向こうが提示してきた金額だから、こちらは何も気にする必要がないのはわかってる。でも、思い出すといまだに胸が痛い。

逆にお金をもらう立場になったとしても、儲けることに抵抗がある。自分が資本主義に乗り切れないのを感じる。資本主義に疑問がある

というわけで資本主義についてググっていたところ、次のページを発見した。

資本主義国になれないニッポン 前編 : 「・・落書」ネタ帳

この記事で小室直樹氏は次のように語っている。

実は、日本は資本主義社会ではないんですよ! プロテスタンティズムの倫理なんてどこにもありませんから
(中略)
資本主義の生命線ともいえる金利を、日本人はいまだ倫理的に正当化できていない。

これだ!と思った。私が上で書いた、胸が痛むとか抵抗があるとかっていうのは、つまり、倫理的に正当化できていないということなんだ。

上記の記事よると、資本主義には3つの側面があるらしい。

  1. 労働そのものを目的とし救済の手段として尊重する精神
  2. 目的合理的な精神
  3. 利子・利潤を倫理的に正当化する精神

そして、これを唱えたのはマックス・ヴェーバーという人らしい。

マックス・ヴェーバーについて調べたら、利潤に対しての私の胸の痛みや抵抗感が減るのかな、と思った。