江戸時代の時刻の表記方法は難しい。

私が読んでいる「江戸時代の怪談」というメルマガの2009/01/26号に、次のような記述がありました。

九つ半ごろ、もはや八つ時かと思われる時分(午後二時前)に、空から、まことに大きな太鼓を打つような音が聞こえました。

「九つ半ごろ、もはや八つ時かと思われる時分」という表現は、数字が逆行しているように思えます。ひょっとして「八つ時」のような言い方をする時刻は数値が下がっていくものなのかもしれません。というわけで、調べました。

室町時代後半から、時刻を時鐘の数で呼ぶようになった。時鐘は、昼に9つ打ち、一刻ごとに1つずつ減らして4つの次は深夜の9つに戻り、また一刻ごとに1つずつ減らして4つの次が昼の9つとなる。時刻が進むごとに数が減っているように見えるが、実際には増えている。中国の陰陽の考え方では9を特別な数として扱い、もっとも縁起の良い数と考えられていた。このことから9を2倍(9 × 2 = 18)、3倍(9 × 3 = 27)、4倍(9 × 4 = 36)…と増やしていって、その下一桁をとると9、8、7、6…となり、減っているように見えるのである。9の倍数分だけ鐘を鳴らそうとすると最大で54回も鳴らすことになるため、十の桁を省略した。
wikipedia:時刻

なんか難儀ですが、

  • 時刻の呼び方は「時鐘の数+つ」である(例:九つ、八つ、…)
  • 時鐘の数は9×nの下一桁である
  • ここでnは自然数である

ということでしょうか。確かに時刻が進むにつれて呼び方の数は減っています。

室町時代ごろから日の出と日の入(または夜明けと日暮れ)の間をそれぞれ6等分する不定時法が用いられるようになった。
wikipedia:時刻

ということなので、さらに

  • 1≦n≦6

という関係があるようです。

余談ですが、

なお厳密には、江戸時代においては毎日昼と夜の長さを変えていた訳でなく、15日毎の変更になっていたので、時計の仕掛けもそれに合わせられた。
wikipedia:和時計

天文や暦法で使う時法は一貫して定時法であった。
(中略)
夜間の分割については6等分のほか、5等分の更点法もある。日暮れを一更とし、二更、三更として夜明け前は五更となり、一つの更はさらに一点から五点まで5等分され、夜明けは五更五点となる。一刻の真ん中を「正刻(しょうこく)」と呼び、または一刻を3等分して上刻・中刻・下刻とする分割もあった。
wikipedia:時刻

とのことです。江戸時代の時刻の求め方や表記方法は、非常に難しかったんですね。