お金って
便利だ。
私はコンピュータが好きなので、コンピュータのことが少しわかる。だからコンピュータの操作で困っている人を助けることができる。
突然だが私は魚が食べたいとする。さんまを焼いたのがいい。私はさんまを持っている人を探し、コンピュータで何か困ったことがないか尋ねる。困ったことがあればそれを解決し、お礼にさんまをくれないかと頼む。さんまをくれたら、私は無事にさんまを食べることができる。さんまをくれなかったり、そもそもコンピュータで何も困っていることがない場合には、さんまを持っている他の人を探す必要がある。お米や味噌も同様だ。これではまっとうな食事ができない。
逆の立場で考えてみよう。つまり自分が漁師で、さんまが余っているとする。新しいコンピュータが欲しい場合、コンピュータをさんまと交換してくれる人を探す必要がある。どれだけ多くのさんまが必要だろうか?100尾だろうか?その人が「さんまを食べ切る前に腐るので、さんまばかりそんなに欲しくない」と言ったらどうすればいいだろう?
そこでお金の登場だ。コンピュータで困っている人を助けたら、お礼にお金をもらう。さんまを持っている人にお金を渡してさんまをもらう。さんまをお金に変えた人は、より多くのさんまをお金に変え、コンピュータを持っている人にたくさんのお金を渡してコンピュータをもらう。こうすればコンピュータで困っている人とさんまを持っている人、コンピュータを持っている人が別の人でも、それぞれさんまやコンピュータを手に入れることができるようになる。
まとめると:
- お金は色々な物に変えることができる。さんまをコンピュータに変えるのは難しい
- お金は集めて使ってもいい。さんまは集めても食べ切れない
- お金は腐らない。さんまは腐る
これで、いかにお金が便利なものかがわかるだろう。少なくとも、さんまよりは便利だ。